皆さん、こんにちは!
このページはミミ(の中の人)が書くブログのおまけ記事、
コラムのようなエッセイ、雑記だよ。
いつものブログの様な文章ではないけれど、
良かったらご覧くださいね♪
さて私は先日「認知機能検査」を実際に受検してみました。
(とても長いレポート、お読みいただいた方は本当にありがとうございました!)
そんな中でチラッと頭の中によぎったことを、今回のエッセイにまとめました。
お時間のあるときにお読みいただけると嬉しいです(^^)
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私の当たり前はあなたの当たり前?
「オレたちをバカにしているのか!」と怒っていた方からクレームが入ったことがあります。
認知機能検査の際に「なんでこんな簡単な説明をくどくするんだ」と言う理由でしたが、
認知機能検査や高齢者講習を受けたあとにこのように思われる方もいらっしゃるわけですね。
中には「あの人、あんなことしてたんだけど!」と言うことだったり。
そして私たちは「申し訳ないなぁ」と思いつつもこのようにも思うのです。
「そこに集まった皆さん全員に分かるように説明する大切さ」
これに勝るものはありません。
実際、分かる方には簡単な説明かもしれない。
そして、誰かにとっての常識や当たり前が、誰かにとっての常識でも当たり前でもない。
そのため私たちは誰にでも分かるような形で説明をします。
バカにされているように感じた方はなぜそのように感じたかと言うと、
「私はしっかりとした人間である」
と言う大きな自負が生きてきた年月とともに備わっていると言うことなのです。
他のひとが何かをしていたら「ずるい」と感じるのは
「私はちゃんとした人間である」
と言う気持ちからくるものです。
きちんとしている方がほとんどですから、ちゃんとしているのなら普通に堂々としていれば良いのですが、
どうしてもそうでない人を「許せない」のでしょう。
それだけ高齢者講習にまつわるものは感情として割り切ることはとても難しい。
結果が自分たちの生活に直結してしまうかもしれないわけですからね。
もちろんそれを否定するわけでもありません。
それは一生懸命生きてきた方にとっては当然持っている気持ちですからね。
ただ、そのような考えで認知機能検査や高齢者講習を受けるのはひどくもったいない。
もったいないばかりか、高齢者同士でケンカになりそうになったり、雰囲気が悪くなってしまうのです。
高齢者講習は自分を客観的に見るチャンス
考えてみてください。
認知機能検査に来ている皆さんはだいたい同じような年齢の方々です。
高齢者講習もそうなのですが、実は自分を客観的に見る「またとないチャンス」なのです。
面倒くさいかもしれないし、「そんなの分かっているよ〜」と思われるかもしれません。
ただせっかくのこの機会。
一度「自分と同じくらいの年齢の人はどんな感じなんだろう?」と見てみることも、とても勉強になるはずです。
もしそのように思いながら認知機能検査や高齢者講習を受けることができたら、
またちょっと別の角度から「高齢化社会における運転の問題」について考えることができるかもしれません。
どうでしょうか。
次回の認知機能検査や高齢者講習をこのような気持ちで受けてみませんか?
きっといろいろな発見があると思います。
高齢者講習や認知機能検査のやり方を見てイライラしたり、他のひとを見たりして怒ったりするの本当にもったいないのです。
自分たちが「車やバイクの運転をこれからも安全運転で続けるため」に見ることが本来はとても多いのですから。
そして無事に免許証の更新が終わり、また普段の生活へ戻っていったあとも安全運転を続けていただけると、私たちはとても嬉しく思うのです。
「怒り」の感情の根っこにあるもの
私たちは人間ですから、ときどき間違えます。
そのとき、誰かにそれを指摘されたりすると、思わず怒ってしまうことはないでしょうか?
間違えを指摘されると「間違えている方が怒る」。
とても不思議に思われますが、これはよくあることです。
「怒り」の感情の根っこにあるものの正体を知ると、ハッとし納得できるのですが、だいたいは怒りが静まらなかったりしてモヤモヤが残ったりします。
例えば、車を運転している途中に、一緒に乗っている人に
「あれ?これ道を間違えているよ」
と指摘されたとします。
「えっ、そうだっけ!?ごめん!」
「大丈夫だよ〜」
こうなれば全く問題はありません。
しかしながらときどき意地悪な人もいて
「なんだよ、お前、道を間違えているじゃないか」
みたいな指摘をする人もいるわけです。
そうなると「なんだその言い方は!」と思って怒ってしまったりするのですね。
確かに指摘した人の言い方もとても悪いです。
ただこれはその人の問題です。
放っておきましょう。
そしてこの「怒りの感情」に対応できる技術を持っていると、
もしそのとき一度怒ってしまったとしても、あとでモヤモヤしたものが残りにくくなります。
一緒に考えてみましょう。
なぜ「怒った」のか考える
「なぜ自分は怒ったのか?」
これについて、もう少し考えていきましょう。
この場合、もしかしたら
- 道を間違えて恥ずかしかった
- 間違えを意地悪く言われて恥ずかしかった
- ほかの人の前で言われて恥ずかしかった
- 自分を否定された気持ちになって悲しかった
などなど、考えていくと「怒り」の感情の根っこにある「本当の気持ち」に気づいたりします。
なるほど、自分は恥ずかしかったんだな。悲しかったんだな。
そう気づいたら、モヤモヤした気持ちが取れるまでもう少しです。
- あんな言い方をする人とはもうあまり付き合わないようにしよう
- 道を間違えたら「ごめんね、道が分かるなら運転変わってくれるかな?」と提案してみよう
など、さまざまな対処ができるようになればもうモヤモヤしないはずです。
最初は難しいかもしれません。
誰だって間違えるし、怒ったりもします。
ですが、相手をどうにかしようと思うよりも自分を変えていった方が早いですし、何より自分が気分良く幸せな気持ちになれます。
認知機能検査や高齢者講習などでもそうかもしれませんが、
どこかでもし次になにかに怒るようなことがあったら、その感情の「根っこ」にあるものはなんなのか、ぜひ考えてみてくださいね。
考えたその先にあるものは、あなたが素敵な人になれる「手がかり」かもしれません。
written by ミミ(の中の人)